その能力を物理的に証明しよう。例えば金属で作られた球体に光をあてると光の裏側は真っ暗であるが、透明の球体ならその部分が逆に明るい。
これこそが預言者の心そのものであり、預言者の心は無欲恬淡でいささかの濁りもなく丸く豊かで何の歪もない。
神とコンタクトする能力を有する者の心は丸く調和し、決して怒る事が無く、心なる水鏡に映る像が娑婆の風に触れて崩れることがない。鉄やクローム以外の磁性の方向は私達の心同様にバラバラで、これを反磁性体[反霊性体] と呼び、 鉄やクロームの磁性の方向は円をなして調和し、これを常磁性体[常霊性体]と呼ぶ。これに神なる磁石を近付けると強磁性体[強霊性体]となって磁石とピッタリと引っ付く。
これが神とコンタクトする霊能者の真の姿なのだが、その鉄又はクロームに熱を加えると、例えばクロームの場合は3 0 0度で反磁性体となって磁石から離れ落ちる。
これらから判断すると、怒る霊能者等は存在しないということへの立証であり。又信念と強情の違いも同様だ。
更に曰く、私と弟子の違いは何か?何故弟子が同じことをしても奇跡がおきないのか。その違いはこうだ。
弟子と人間との関係は相対だが、私と人間との関係は神のように親と子の関係に貫かれているからだ。
親と子の関係なればこそ人に対する思いや行為は、親が子にたいする自己犠牲の行為と祈りにつらぬかれ、その故にこそ奇跡をおこす原点がそこにあり、それがメシヤの本質だからだ。